”Psycho-cybernetics”では、いわゆる『自己』というものを階層的に捉えている。
マルツ博士は、彼自身の確信や仮説や理念であるとしながらも、まず、もっとも深いところに『一個の生命力』とも言うべき究極の本源があり、ひとりの人間の生命、『本当の自己』は、全てこの究極の本源から派生していると考える。
※たしか、手塚治虫は、人間に限らず全ての生命が、この究極の本源から派生していると捉えていたように思う。
この『本当の自己』は、人間が神から与えられた唯一のもの、only-oneの存在であり、この世に同じ「自己」は存在しない。
そして、僕たちの「生命(いのち)」の奥深くに組み込まれていいて、いわば、僕たち一人ひとりに与えられたスペックの100%になるわけだ。
ただし、普通の生活の中で、僕たちが、この『本当の自己』を認識できる機会は、まずない。通常、認識するのは『本当の自己』をベースに自ら創り上げた『現実の自己(表現された自己)』まで。
そして、『本当の自己』がもつ潜在能力(100%のスペック)を一生の間にすべて発揮・実現できる人は誰もいない。
だから、『現実の自己』は、いつでも不完全なままなんだ。
※ここでのポイントは、『現実の自己』は、神から与えられたものではなく、”自ら創り上げた”ものだという点にある。
だから、『現実の自己』は、いつでも不完全なままなんだ。
※ここでのポイントは、『現実の自己』は、神から与えられたものではなく、”自ら創り上げた”ものだという点にある。
”Psycho-cybernetics”は、このような『自己』に対する認識をベースに成り立っているわけだけれど、面白いのは(笑)、実は、この『現実の自己』を創り上げているのが『自己イメージ』~いわば、僕たちの思い込み~だと考えている点にある。
どんな風に面白いのかって?(笑)
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