長崎ほのぼの屋を”我欲”という視点から観た場合、どんな位置づけになるんだろうと考えてみたところ、彼がくれた答え、それは「社会貢献」というものだった。
それでは、「社会貢献」とはなんだろう。
「社会における自己の存在意義の確認作業」、つまり「承認の欲求」を満たすこと、それが「社会貢献」なんだと、僕は思う。
社会の中で一定の「役割」を果たし「承認」されること、それが、社会的動物である人間にとって、いわゆる「生きる」ことに他ならない。
あらゆる動物は、個体としての「生命の維持」と「種の保存」という目標をもち、「本能」という形でプログラムされている。
彼は僕に、人間以外の動物は、このプログラムを自ら書き換えることはできないが、人間だけが唯一、それが可能なのだと教えてくれる。
「社会貢献」「社会の中で一定の役割を果たし承認されること」、それは、「人間として生きること」そのもの。
どうやら、ここら辺りに、長崎ほのぼの屋の存在意義(ミッション)があるようだ。
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